2009年1月2日金曜日

12月28日(日) お城の主はわたし



時は880年から890年、ヴルダヴァ川(モルダウ川)を一望する丘陵地にプラハ城の基礎が建設された。ボヘミアを統一したプジェミスル家のヴァーツラフ1世が初代ボヘミア王・プラハ城の主となる。
1091年には大火災で被害を受けた城は再建され、1182年にロマネスク様式の城が完成。
1346年から1378年は、カレル一世(神聖ローマ皇帝カール4世)(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB4%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)統治の時代はプラハ繁栄の時。
1415年、ヤン・フス(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%B9)が異端の罪で火刑に処され、民衆に支持されていたので、これを機にフス戦争が起こり、プラハの歴史は大きく動く。当時オーストリアで力のあったハプスブルク家がボヘミア統治に乗り出してくる。
1438年、ボヘミアはハプスブルク家の支配下となり、以後500年間、プラハ城はハプスブルク家の居城となる。
第一次世界大戦後、1918年にはハプスブルク帝国崩壊。アメリカに亡命していたマサリク(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%82%AF)がワシントンでチェコスロバキアの独立を宣言。そして、マサリクは「祖国の父よ城へ来たれ」という民衆の大合唱に迎えられる。
しかし、1939年のナチスの占領。1945年から共産党支配による弾圧、1968年ソビエト軍のチェコ侵攻という忍耐の日々。1989年に、ベルリンの壁が崩壊し、一気に民主化に進み始める。
様々な激動を経て、1993年1月1日にチェコ共和国誕生。

と、ちょっとチェコの歴史に触れてみたけれど、この国の建物や気質に影響しているのは間違いないなぁと感じる。共産国って感じの建物がずらっと並んで、人もイギリス人と比べると、そんなに友好的な感じじゃない気がした。ただ、その厳かな雰囲気が訪れるものを圧倒し、その魅力を慎ましく強調するような。なんとも言えない空気が漂ってた。

そして、その問題のお城を見学。お城に続く坂をゆっくり上がっていくと、すごく可愛いお店がずらっと軒を連ねて、入ってみないといけない衝動にかられる。誘惑に負けて、寄り道を繰り返して、ようやくフラチャニ広場に到着。映画「アマデウス」にも使われた場所なんだそう。ここからの眺めが最高。
で、ルドルフ2世のお抱えの錬金術師たちが、秘薬を作っていたと言う伝説から、黄金の小路と呼ばれる道を歩く。一言で言うと、とっても狭い短い道。そこに並ぶ小さな家々は、間口も低くて、私たちですら首をもたげて入る。22番目のお家は、カフカが仕事部屋にしていたそう。←これは帰って、調べて気付いたんだけど(笑
ロブコヴィッツ・パレス(http://www.lobkowiczevents.cz/palace/)っていう、お洒落なカフェを発見し、テラス席から旧市街を眺めつつランチ。この眺めを手に入れたお城の主の気持ちが分かる。←全然分かってないだろうけど。。。
最後に極めつけの聖ヴィート大聖堂。あのミュシャ(ムハ)のステンドグラスもある。大聖堂は幾つも幾つも見て回ったけど、確かにちょっと趣向の違うステンドグラスだった。中は、イギリスのヨークミンスタークラスの広い聖堂で、イギリスのそれと似ている気がした。

夕飯は、ムゼウム国立博物館近辺のチェコ料理店で。チェコの代表料理のクネドリーキを食べてみたくて。小麦粉かジャガイモを牛乳や水で練って、茹でたり蒸したりするパンのようなもの。各種料理に必ず添えられ、日本のご飯みたいなものなんだって。料理もなかなか。

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